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Special

 
 
 
――Blazing Soul Prequel――
「-霹靂-」

「――無事か」

正面を見据えたまま、彼が短く呟いた。一瞬、惚けていた俺は言葉の意味を掴みとり損ねたが、すぐに自分の安否を確かめるためのものであることに気づく。

「は、はい――ッ」

「そうか――よかった」

そうして彼は、微笑んだのだ。あろうことかこの地獄の只中で、本当に、本当に、心の底から生きていてくれてよかったと。ただの兵卒でしかない俺の身を案じながら、とても――とても優しい顔で、彼は微笑んでくれた。

「ならば、すぐに退け。この前線は既に崩壊している」

「な、自分はまだ――ッ」

「案ずるな。後は俺が全て担う。だからお前は、そこの兵を安全な場所まで連れて行ってやってはくれないか」

そう告げられて、俺は始めてすぐ傍に、瓦礫に半身を潰されながらもまだ息をしている兵がいることに気づいた。顔に見覚えがある、俺と同じく学徒の身分で戦地に立った同胞の一人だ。

「しかし、一人ではッ」

帝都死守圏はどこも人員が切迫しているはずだ。この場所に対して満足な増援は見込めないだろうし、彼が何者であるかも十分に理解していたが、たった一人であの数の騎士を相手にどこまで持つかはわからない。

「いいや、一人で十分だ。救えるはずの命を何一つ取り零しはしない。俺は、今度こそ全てを守り抜く」

声は鋼のように圧を帯び、そこには何もかもを無条件に納得させるような強い熱を感じた。本能が、訴えている。この人なら本当に大丈夫なのだと、俺は既にそう信じきってしまっている。順当に、捻りなく、予定調和の如くに彼は――この人は、これより本当に全てを救ってしまうのだと気づいてしまって。

「――ッ」

投げかけてしまった全く見当外れな気遣いを俺は己で恥じながら、即座に同胞を押しつぶしている巨大な瓦礫の縁を掴むと、一息に持ち上げ脇へと放り投げた。屈強な男性が三人がかりでも動かすことの出来ないほどの瓦礫であったが、魄創術識における基本術理「現奏・六識」を行使すればこのように尋常でない膂力を発揮することなど造作もない。

「おい、大丈夫かッ」

「グ、あ、あぁ……」

倒れ伏している同胞に呼びかけると、呻くような弱々しい声音であったが、確かな返事が聞こえた。意識はまだ失われていない。しかし、瓦礫に潰されていた両足は酷い有様だった。もう使い物にならないだろう。

俺は彼に肩を貸し、助け起こすと再び稲妻の如くに推参した男を振り返る。既に聖騎士たちは陣形を整え、剣と盾を構えじりじりと俺たちを包囲するように接近してきていた。

「大事ないか」

「は――すぐに手当を施せば、助かるかと」

「そうか――ならば、俺が今からこいつらを片付ける。その隙に離脱しろ」

片付けるという言葉に、俺は思わず息を飲んだ。彼の言葉が届いたのか、聖騎士達の合間にもにわかに緊張が走る様子を肌で感じる。相手は精鋭中の精鋭、いざ戦いを始めればいかに彼であろうとも、この人数差で無事に済むとは思えない。それでも、やはり彼は決死たる思いなど微塵も抱かず、当然のように生きて状況を打開するつもりであることは明白だった。

 

男が深く腰を落としつつ左足を引き絞り、柳の型で刃を構える。緊張の糸が極限域まで張り詰め――次の瞬間に弾け飛んだ。

「――“玉散る刃抜き払い、死する覚悟で挑むべし”」

奏でられるは己が魂を奮え立たせる猛き祈りの形。同時に炸裂する真紅の光、これが魄創術識の奥義――即ち唯奏と呼ばれる超常能力の発現位階。此処に現出するは、彼を雷神の如くに変貌させる裂帛の雷霆。

 

「石動流戦刀術、八雷構――弐ノ太刀、鳴雷」

雷鳴が轟き、男の姿が瞬時に掻き消える。視界に映るは聖騎士たちの間を縦横無尽に駆け巡る鮮やかな紅雷。否、その全てを捉え切ることは出来ない。現奏によって強化された動体視力であろうとも、その煌きはあまりに疾く、そして壮絶に過ぎた。


あれほど感じていた絶望が、嘘のように溶けていく。眼前で繰り広げられているのは紛う事なき英雄譚――走る稲妻が、聖騎士たちを吹き飛ばし、戦力差は秒刻みで縮められていく。彼らもまた熟達の魄創術者であり、帝国軍人からしても見劣りはしないはずなのに、紅雷の彼が放つ魂の輝きはあまりに完成度が高すぎた。強く雄々しく気高く稲妻の如き彼は、宣言通りに圧倒的な力を以て立ち塞がる全ての脅威を打倒していく。

「あれは……誰だ。以前、どこかで……?」

いつの間にか、支えていた同胞の目にも強い光が戻りつつあった。俺と同じように、彼もまた何か高貴なものを前にしたようにこの光景を見つめている。

「――シロガネ・セイギ」

譫言のように、俺はその名を告げた。

シロガネ・セイギ――最初に見たのは、軍学校の主席卒業生として壇上に立つ彼の姿。そうとも、俺はその時から、彼を知っていた。尊敬していた。間違いじゃなかった、彼を信じて。彼を目指していたことは、決して間違いじゃなかったんだ。

だってこんなにも、彼は――輝かしいのだから。

撒き散らされる紅雷の余波からでも伝わるシロガネ・セイギの術識が放つ異常な出力、それを御する練度と質。そして何より、辛うじて見える迅雷の如き彼の太刀筋が目を見張るほどに流麗で、俺は与えられた役目を一時忘れかけてその全てを見届けたいと願ってしまう。自分を、そしてこれから国すらも救ってしまうかもしれない英雄の姿を、強く強く、湧き上がる感情のままに涙を流し続ける双眸に焼き付けながら――俺は、トウジョウ・アキタカは此処に誓いを立てたのだ。

必ず、いつか――今度こそ、貴方と共に肩を並べて戦いたいと。

順当に捻りなく、一切の順序を違えずに、彼は全てを救うだろう。ものの数瞬で聖騎士たちを殲滅した英雄は、次なる同胞たちの窮地を救うべく新たな戦地へと姿を消していた。それでも俺には、鳴り響く遠雷の残響がいつまでもいつまでも聞こえ続けていた。
そう、いつまでも、いつまでも――。

 

                                         了

まず見えたのは、朱殷の如き夜空と、そこに揺蕩う赤銅色に満ちた無数の煌き。遅れて、耳障りな喧騒が先ほどから激しく耳朶を打っていることに俺は気づいた。
  音と像を得ることで、忘我の淵にあった俺の自意識は急速に色を取り戻していく。夢心地のような胡乱さを吹き払い、同時に込み上げてきたのは壮絶な焦燥感だった。
  
――俺は、一体どれだけ気を失っていたんだ。
  
身をつんざく羞恥と取り返しのつかぬ絶望感が鉛のように俺の体を地面に押さえつけていたが、軋む肉体を動かしどうにか上体を起こす。すると、視野に映るのは正しく、戦場とでも呼ぶべき凄惨たる砲煙弾雨の地獄であった。


  
星歴3017年、4月1日。帝都・桜花、炎上す――。

 

  
異常事態であることには間違いなかった。我が帝国が大海を挟んだ先に広がる複合国家アルダリアと戦争状態に入ってから今日で八年もの歳月が流れている。


帝国の最北、陸奥と呼ばれる土地へ最初に上陸したアルダリアの軍勢は、陸奥を含む周域国を占拠したが、以後ただの一度も進軍に成功していない。しかしそれは当然のことであった。奇襲めいた上陸作戦であっただけに、幾ばくかの領土を奪われはしたものの、守りを固めた帝国軍の防衛網をアルダリアでは打ち破れるはずもなく、決して破れないだけの理由もまた存在した。


アルダリアの兵力と、「魂」の力に依らない兵器の数々は確かに驚異的ではあったが、帝国軍人は個人で千の兵士と百の兵器に匹敵する力を秘めている。

 

それこそ即ち――人の、魂が織り成す超常の力。魄創術識。


しかしそれはこの世界「オフィー・レイニア」に暮らす者ならば誰もが行使出来る神秘であり、アルダリアも当然同様の力を兼ね備えてはいるが、帝国の軍人とは資質と練度の面において正しく雲泥の差が開いている。これには土地柄による差異が大きいと言われているが、現に帝国軍人は魄創術の観点だけに絞れば、レイニア最強の軍隊と言っても過言ではないだろう。帝国が常々自国の兵士を指し兵卒の末端に至るまで誉れ高き神兵と称するのも真実間違いではないのかもしれない。


だが、そうした武勇を持つはずの帝国が今や、首都本陣を攻め込まれるという様相を呈している。事の発端は、北方より攻め来るアルダリアの軍隊か。それ自体はいつものことだったが、今回は小競り合い程度では済まなかった。


此度――陸奥に駐留していたアルダリア軍は残存戦力と本国より呼び寄せた師団規模の援軍と集結し、東大陸の南と北を分ける防衛線に対し総力戦を敢行した。さしもの帝国軍であろうと、数十万もの戦力差があれば防衛線が瓦解しかねない危険性を孕んでいた。


そのため、帝都周辺の都より兵を割き、北方の防衛へと回したのだが、そこで待ち構えていたのは王国アルダリア最強と謳われる騎士団、聖円卓に席を置く十二人の騎士達だった。即ち、帝国軍人を上回る術識を持ち得る傑物のみで構成された騎士団であり、特筆すべき脅威は異常とも言える突破力だ。鉄壁の防御を誇っていたはずの帝国軍の防衛線は、たったの「十一人」による圧倒的な武威によって穴を空けられたのだった。


そう、穴が空いた。しかし防衛線は決して瓦解したわけではない。帝国軍に混乱は起きたものの、それだけならばまだ戦況を立て直せる力が帝国にはあった。故に、再び防衛線を磐石とすべく立ち回るが――。


  その全てが、ある一手のための布石であったことを、誰も見抜くことが出来なかったのだ。
  
戦場を、黒い影が覆った。それは雲が日輪を覆い尽くしたのだと誰もが思った。しかしすぐに違うと誰もが気づいた。誰かが空を見上げれば、そこには悠然と天空を遊泳する何かの姿があった。

――鳥か? いいや、ソレはあまりに巨大であった。

――大型の魂喰鬼? いいや、ソレはあまりに機械的に過ぎた。

ならば、戦火による黒煙が立ち上る空を横断するその物体は何であるのか。末端の兵卒は解することが出来なかったが、一定の兵や軍部の高官、または機械工学に知識を得た者たちが、その正体に気づくことが出来た。

――あれこそが、後に飛空艇と呼ばれることになるアルダリアの新兵器に違いなかった。

当時、航空戦力なるものは帝国においても理論だけは存在したものの、技術不足のために机上の空論として実現には至らず持て余されていた。アルダリア王国は、その卓越した軍事力のために帝国の持たぬ最強のアドバンテージをついに確保することに成功していたのだ。


地対空兵器を持たぬ帝国は、都合四つの巨影が飛空する様を見守ることしか出来ず、アルダリアの飛空艇は帝都の目と鼻の先に降り立った。帝都にまで接近すれば、飛空艇を迎撃出来るだけの力を持った師団長クラスの術者が控えていたが、飛空挺の降り立った地点は北方の防衛戦維持のために戦力を割いたため最も手薄となってしまっている場所だ。


電撃戦――飛空艇という予期せぬ存在を前に完全に足を取られる形となったが、真なる脅威はそんなものですらなかった。そう、聖円卓は本来十二人で構成されているはずだが、北方の最前線に姿を見せているのは十一人。アルダリアは、今回の作戦を明らかに総力戦と見立てている。ならば、自国の最高戦力たる騎士団の出征に際し少しでも出し惜しむことがあるだろうか――否、あるはずがない。

聖円卓第一席。即ち、王国最強たる聖円卓騎士団の筆頭を務める男。曰く、黄金の騎士、勝利を齎す者。王国の守護者――剣聖、アルトグレイス・フェルマータ、出陣。飛空艇より降り立った部隊を指揮するは、生ける伝説と謳われる剣聖その人に他ならない。

けたたましく鳴り響く怒号と銃声、そして虚空へ奏でられる無数の剣戟音。見渡せば、街並みは炎に飲まれ、見知った同胞の骸が脳漿を晒し、鮮血をぶち撒け、道に折り重なっている。


気を失う直前に見た黄金の光が何であったのか、既に俺は理解出来ていた。眼前の街道から少し視線を外せば、そこには何かに薙ぎ払われたように一切が消失し、地平線までもが見渡せるほどの虚無がある。それが、果たして「何」によるものなのか――事実を噛み締めるほどに、どろりとした感情が身を包み両の足が強張っていくのを感じる。

――あれが、剣聖の術識。

俺は運がよかった。こうして生きているのは奇跡だ。ただ、アレの射線からほんの少しだけ外れていたから助かった。それだけのこと。だが、もう駄目だ。足の震えが止まらないし、歯の根が合わない。そうとも。俺は、怖いんだ。

戦いはまだまだ続いている。此処が落ちれば、そのまま帝都へアルダリアの軍勢は進撃する。援軍は期待出来ない。北方の戦力を割けば、いずれにせよ防衛線は崩れ、王国の軍勢も共に押し寄せる。故に、絶対死守圏と定められた帝都の外延部全域は何としてでも守り通さねばならなかった。

けど、けれども――ああ、くそ。どうして、俺は死ぬのが怖いんだ。ふざけるなよ、何のために俺は今まで鍛錬をしてきたというのだ。こんな惰弱な有り様は、身に纏う帝国軍の軍服と欠片も見合ってなどいない。いくら学徒出陣の折に与えられた急場凌ぎのものであっても、これを着用するということは、つまりはそういうことだろう。人々のために、御国のために、命を賭して戦わなければならない義務があるのだと、理解していたはずなのに。

だのに俺は――死にたくない。生きたい。怖い。一度向き合ってしまえば、もう体の震えを止められなかった。情けない、情けない。


そうして当然、戦場の只中で棒立ちとなってしまった俺がそのまま見逃されるはずなどなく。

「……――ッ」

アルダリアの甲冑を着た無数の騎士が、真っ直ぐにこちら向かって押し寄せてくるのが見える。距離はまだ離れていたが、あと数十秒もすればすぐに俺の元へ到達するだろう。彼らが携える剣は全て血に濡れており、黄金の光から生き延びた帝国軍人たちも既に屠られたものと容易に推察出来る。

――金色を基調とした甲冑。聖円卓直下の聖騎士たちだ。アルダリアでも聖円卓に連なる上級騎士たちに次ぐ精鋭中の精鋭であり、術識を含めた練度の程度は帝国軍の手練に匹敵する。

対して俺は、魄創術識の基本修練は修めているものの、その真髄たる「唯奏・阿頼耶識」と呼ばれる奥義の獲得にまでには至っていなかった。これでは、到底奴らの相手になるとは思えない。殺されるだろう、成す術もなく、最後まで惨めに情けなく。

ならば――逃げるか?

「――馬鹿な」

なんて恥知らず。逃げる? 逃げるだと? 一瞬でも、たとえほんの一瞬でもそんな愚考が脳裏を過ぎったことが俺はたまらなく許せない。
痴れ者め、逃げられるはずがないだろう。お前は、一体何のために、軍人などを志したのだ。

「俺は、全てを――」

この国に暮らす全ての人々の、平和と安寧を。

「守り抜く、ためにッ」

そのために、命を賭すと誓ったはずだから。

「――ッ」

自前の武器は紛失してしまっていた。俺は近辺に突き刺さっていた誰のものかも知れぬ刀剣を引き抜くと、間近に迫りつつある王国の騎士へ対し青眼に構える。
命を賭して戦うと誓ったのだ。ならば、どれだけ絶望的な状況であろうと、俺は立ち向かわなければならない。帝国軍人として、一男児として、掲げた矜持だけは裏切ることがあってはならないのだ――何があっても。

「――来いッ」

鋭く張り上げた喝声は、自らを鼓舞するためのものでもある。恐怖心が無くなったかと問われれば、依然として刀の柄を握る両手は小刻みに震えていたし、じとりと背を流れる冷たい感触は隠せない。まさか己一人で奴らを食い止められると思えるはずもないが――それでも、ただ殺されてしまうようなことだけはあってはならないことだ。


故に此処を死地と見定めつつ、命尽きるその瞬間まで己の魂を輝かせるべく俺は咆哮を轟かせ特攻を開始した。たとえ、その先で粉微塵に砕け散ってしまったとしても構わない。それで、己を、国を、全てを裏切らずに済むのならば。

――刹那、光を見た。それは激しく雄々しい、眩き真紅の閃雷。目を奪われた。心を奪われた。この戦地には余りに不釣り合いなほどに、その紅は美しく、そして鮮烈に俺の双眼へと焼き付いた。

轟く雷火が赤土を照らす。一筋の稲妻が轟音を響かせながら俺と聖騎士たちを分断するように両者の合間へと落雷し、大地を貫き焼き尽くした。迸る電流の瞬きに思わず目を覆いかけるが、何一つ見逃したくないという一心で俺は必死に食い下がるように眼前に降り立った雷光の化身を見つめ続ける。そう、その横顔を覚えている。その眼差しを覚えている。その佇まい、堂々たる背、神話の如き威光すら見せる紅き閃光。その全てを、俺は余さず覚えている。どうしようもない窮地に、颯爽と駆けつけてくれる誰か。ま
るで、伝承にて語られる英雄のような、恐ろしいほどに輝かしい誰かの姿を。

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