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Special

 
 
 
――Blazing Soul Prequel――
「-桜花の再会-」


愛らしい鶯の囀りが青空に染み渡る。四月の知らせを届ける風が、桜の香りも運んでくれる。しかし心地良いはずのそよ風も、この怏々たる感情を取り去るには至らない。
  
玄関口を通り抜け正門すぐの広場へ出れば、式を終えて真っ直ぐに帰路につこうとする者、鷹揚にも親族や、入学前からの馴染みである同期生たちと記念撮影を行う者などが点在し、朗らかな賑わいを生み出していた。
  
 それから私は正門付近に植えられた桜の並木を見つめ、揺れる小枝のそよめきに耳を澄ませ、ほんのりと口元を緩ませる。
  
 ここの長閑な有り様を見ていると、今が戦時中であるということを忘れかけてしまう。最も、入校式の最中などは相応に張り詰めた空気が漂っていたのだが、本日の全日程が終了し帰路につくのみとなったこの瞬間においては、彼らのうちに漂っていた緊張の糸も少しだけ緩んでしまったというだけだろう。
  
 皆が皆、国のため人々のためと大義を謳い軍人を志したのだろうか。真新しい学生服に身を包んだ彼らの瞳には光が瞬き、活気が漲っている。とても青くてよいことだ、などと。変に大人びたように考えている自分が馬鹿らしくて私は自嘲の笑みを零してしまう。
  
 無論、私も国を想う気持ちは真実だ。自らの力が届くのであれば、この帝国を、そこに暮らす人びとを、守り抜きたいと切に願う。だがそうした熱意さえも、今この瞬間だけはどうしても振り絞れずにいる。本当に、これでよかったのだろうかと、どこかで思ってしまっている自分がいる。
  
 シラギクの家は代々「皇」に仕える華族の一つとして帝国内でも大きな権威を誇り、内部からは執政関係者も多く輩出している。元来、シラギクの女子は皇の侍女、あるいは名のある家柄へ嫁ぐことに定まっており、男児は政治界へ参じる運びとなっていた、その中で帝国の軍門を叩く者は長い暦で数えてみても片手で済む程度だろう。
  
 無論、女子が軍人となる前例はなかったし、そもそも本家の嫡流がそれを許さないことは確かだ。では何故、シラギクの末女たる私――シラギク・サヤがこうして帝都士官学校の入学式へ参列していたのか。理由は極めて単純明解な事柄であり、なんてことはない。つまり、私は全てを投げ捨てて出奔したのだ。あの、古風な考えに凝り固まったシラギクの家から。
  
 定められた道を疑いもせず、僅かにも脇道へと逸れることなく歩むだけの一生。なるほど確かに、それは堅実であることだし、確約された安定を得られるというだけで、とても喜ばしいことなのかもしれない。そう思うような人が大多数なのではないかと私は思う。だからといって、それを否定するつもりはない。


 ただ私はそうではなかったというだけなのだ。シラギクの家に生まれた身として、家柄に従うべきだとは思ったが、私はどうしてもシラギクとしての務めを果たすような気にはなれなかった。自分の道は、自分で切り開く。誰かに舗装してもらうものではない。そうした思いが確信へと変わったのは、きっとあの日の出会いが切っ掛けだろう。
  
 在りし日の邂逅を思い起こしながら、私は些か気落ちしたように足元へ視線を落とした。何にせよ、家の反対を押し切り半ば勘当されたような形でここへと足を運んだのだ。私のような一族の面汚しなどニ度と受け入れてはもらえないだろうから、帰る場所などはない。
  
 言ってしまえば、ただの稚気であるのかもしれない。私は両親に、シラギクという家の風習に反抗心を燃やしているだけの小娘。しかしどう思われようと、私もあの家に戻る気はなかった。
  
 帝国軍で、己の力を試し、高めよう。そして国と民のために、剣を振るうのだ。今の私は――それでいい。
  
 茫漠とした憂鬱感に浸ってしまえばキリがない。こうした鬱屈とした感情は、家に居た時から時折湧き上がってしまうものだったが、「彼」と出会ってからはその出会いを懐かしみ、彼が私にかけてくれた言葉を思い出しながら何とか振り払うことが出来た。
  
 シラギク・サヤにとって決定的な転機となった彼との出会いが、私にとっての支えであり指標となっていることは自明のことだ。彼と出会わなければ、私はこうまで思い切った選択を取ることは出来なかっただろう。彼と出会わなければ、私は今もきっとシラギクの家に居残ったままだ。
  
 彼の顔は、今でもはっきりと覚えている。さすがにあれから月日も経っている。姿形は心身の成長に伴い変わっている部分もあるだろうが、それでも一目見れば彼だと分かる確信があった。
  
 もう一度、彼に会ってみたかった。会ったらどうこう、という話ではない。ただ、あの日たった一人で泣いていた少女に手を差し伸べてくれた「彼」と、もう一度だけ話がしたかった。それだけで――私は。
  
 ――と。
  
 「あっ」
  
 当然のことだが、そうして下ばかりを見ていては前に如何なる壁が佇立していようと気付けるはずがない。視界に、磨き上げられた學校指定のブーツを認めた時には、既に私はその壁に衝突してしまっていた。
  
 足取り重く進んでいたためか、衝撃自体は軽いものだったが、私の体は枯れ枝のようにふらりと脆く揺れ動き、両の足へと地を踏みしめ耐える力すら満足に行き渡らせることは出来なかった。そのまま、みっともなく尻餅をついてしまう。
  
「――っと、君。大丈夫か?」
  
 頭上からかけられる男性の声に、私は顔が熱くなる感触を覚える。シラギクの家から離れたとはいえ、徹底的に躾けられた教育は既に身に染み付いている。殿方の前で粗相をすることなかれ。慎ましやかに可憐であれ……このような醜態を晒してしまうのは恥に当たる。
  
「も、申し訳ございませんっ。私の不注意でした……!」
「いや、こちらも背後への注意を欠いていた。すまない」
  
 無造作に突き出された右手。お構いなく――と、自ら立ち上がろうとしたところで私は、手を差し出してくれた男性の顔を初めて視界に認める。
  
「あ――」

言葉と裏腹に、彼は仏頂面で、不機嫌そうに私を見下ろしていた。けれどもその瞳には、ありありとこちらを気遣うような色が灯されており、きっとこの渋面は彼の自前なのだろうなと思い至る。そう、あの時もそうだった――などと、どうしてか、既視感のようなものも想起されて――。
  
「――ありがとう、ございます」
  
私は食い入るように彼を見詰めたまま、差し出された右手を取り立ち上がる。彼はやはり怒っているようにも見えたが、元々が極めて精悍な顔つきであるようで妙に様になっている。しかしそれよりも何よりも、彼の不機嫌そうな表情は、私にとって酷く懐かしいものに見えた。
  
「君も新入生か?」
「は、はい――貴方も?」
「あぁ。俺はセイギ、シロガネ・セイギだ。これも何かの縁だろう、よろしく頼む」
  
 思わず息を飲む。セイギ、セイギと、彼はそう名乗った。やっぱり、けれどどうして今――こんな奇跡が起こり得るのか。
  
姿形は確かに変わっている。それでも、あの日の「彼」の面影は随所に残っていた。

一目見て分かった。それでも、本当にまた巡り会えたことが信じられない。シロガネ・セイギ――それが、この方の名前。

 

「……うむ。あー、その」

そうして彼の瞳を見続けていると、急にシロガネ・セイギはばつが悪そうに視線を逸らした。

 

「ど、どうかなさいましたか……?」
「いや、その。すまないが、そろそろ離してはもらえないだろうか?」
「……? ……あっ!」

一際激しく心臓が高鳴った。助け起こされてからずっと、私は彼の右手を握り締めたままだったのだ。弾かれたように手を引っ込めると、そのまま激しく脈打つ心臓を鎮めるように両手を胸の前で組む。

「も、申し訳ございません。その、ちょっと呆然としておりまして」
「いや。構いはしないが、本当に大丈夫か?」
「はい。あ、はい、ええ。大丈夫、です」

 

​まったく大丈夫ではなかった。時間が経過し、状況を把握していくにつれて、今にも破裂しそうなほどに心拍が強く強く鼓動を刻み、うなじから背中に何とも言えぬむず痒さが走る。先ほどまではそんなことなかったのに、何故か今は喉がカラカラに乾いていた。

彼だ。彼が、目の前にいる。夢にまで見たあの日の彼が、こうして目の前に立っている。ああ、なんと声を出したらいいだろう。何を言おうか、なにを伝えようか、ずっと、ずっと考えていた。いつの日か再会できる日を信じて、何度も何度も考えてきたのに。もう、何も思い出せない。頭の中は真っ白で、私は目蓋を激しく瞬かせながら彼を見ることしか出来なかった。

「……ところで、俺は君をなんと呼べばいい?」
「えっ? ……あっ!」

なんて馬鹿。この期に及んで私はまだ彼に自分の名前を名乗っていないことに気がついた。普段ならばこのように愚鈍な過ちは犯さぬはずなのに、どうしてこんな時に――。

「し、失礼致しました。私は――サヤ。シラギク・サヤと申します」
「シラギク? ……なるほど、そうか。では改めてよろしく頼む、サヤ」
「――はい。よろしくお願い致します。セイギ様」
「様? 俺如きに、そんな敬称は付けなくていい」
「これは癖のようなものですので、どうぞお気になさらないでください」
「むう……しかし、こそばゆいな。それは」

シラギクという名を聞いた一瞬、シロガネ・セイギの瞳に過るものがあったが、次の瞬間には消え去り、何事も無かったように彼はもう一度私に向けて右手を差し出した。

その大きな手を握り返しつつ、今の一瞬で彼は即座に私の事情へ少なからず勘付き、気を遣ってくれたのだと理解する。その事実に、緊張感とは別に私の胸を締め付ける何かが湧き上がった。

――しかし。

「それにしても引き止めてしまってすまない。君はこのあと何か予定があるのではないか?」
「い、いえ。あとは帰宅するだけでしたから。セイギ様こそ、誰かと待ち合わせでも?」
「ああ、そのようなものだ。そろそろ顔を見せてくれるはずなのだが……」

やはり、か――どうにも。私だけが一方的に彼を前にして錯乱していたようで、シロガネ・セイギは特別私へ何か注意を払うことはない。

気づいていないのだ。いや、覚えていない、か。この方が、あの日の「彼」であることに間違いはない。けれども、ああ確かに、思えば名前すら互いに告げることなく別れた短い邂逅であったのだ。私の中では強烈な記憶として残っていようと、彼もそうであるとは限らない。思えば、それは当然のことだろう。

ほんの少し、残念な気持ちもあったが、それを殊更告げる気持ちも抱けなかった。覚えていないというのならば、それはそれで仕方がない。ただ、私は彼に再会出来た。それだけで、私は――こんなにも満たされている。だから、これはこれで構わない。

「セイギ様は、何方を待たれているのですか?」
「む――そうだな。何というか、存外に説明が難しい」

難しく考えるように彼は腕を組んだ。

「ご友人の方か、ご両親でしょうか」
「その二つなら、親と呼んだ方が相応しい、か。いや、しかし、ううむ」

と、なにやら唸り出してしまう始末だ。聞いているこちらはまるで検討がつかない。浮かぶ疑問符に、

一緒になってうんうんと唸り出していると、どこからか聞こえる凛とした声が、彼の名を呼んだ。

声の方向を振り向けば、涼やかな微笑を浮かべた白髪の男がゆったりと私たちの方へ歩いてきている。恐ろしく端正な面貌をしていたが、私の目を惹いたのは彼の顔そのものだ。この私ですら彼を知っている。ならば、こうして士官学校へ入学を果たした他の生徒たちも彼を知らないはずがない。

聞き耳を立てずとも、驚愕と感嘆するような声やため息があちこちから聞こえた。そうだろう、白髪の彼は、そうして注目の的にならざるを得ないような男性であることは間違いなかった。――即ち、歴史に名を残す偉業をいくつも果たした現代に生きる真実の英雄。

「カミナギ、ヤマト少佐――」

反射的に体が礼の姿勢を取る。事前に敬礼の所作は教えられていたが、うまく形になっているかは自信がない。

帝国の守護者――軍神、カミナギ・ヤマト。その異名は遥か東のアルダリア王国にまで響き渡っている。彼の伝説は、帝国を襲ったある魂喰鬼の討伐作戦から始まりを告げ、此度のアルダリアとの戦においても遺憾無く武勇を轟かせている。我が帝国が誇る最強の英雄の姿が、今、目の前にある。これは、シロガネ・セイギとの再会とは別の意味で私の心を大きく掻き乱していた。

「おっと、なんだセイギ。この可憐な少女はお前の知り合いか?」

カミナギ少佐からの答礼を受け、私は右手を下ろす。英雄は慮外にもフランクな口調でセイギ様へと語りかけていた。

「ええ。と言っても、先ほど知り合ったばかりなのですが」

対するセイギ様の口調も固くはあったが、そこにある程度の気安さがある。どうやら本当に彼の待ち人はカミナギ少佐のことであり、二人は旧知の仲にあるようにも見えた。

「おいおいやるじゃないか。見直したぞセイギ――さて、初めましてだね。私はカミナギ・ヤマト。まあ多少は名が通っているもので、もしかしたら聞いたことくらいはあるかもしれないが」

「はい。お噂は以前から伺っております。お会いできて光栄です、カミナギ少佐。私はシラギク・サヤと申します」
「ほう――シラギクの家から出奔者が出たという話は耳に挟んでいたが、なるほど、それはどうやら君のことらしい。ま、何はともあれ事情は聞かんよ。それより、こうして学び舎を共にするのであれば、どうかこいつと仲良くしてやってくれないか」

そう言いながら、少佐はセイギ様の肩に手を置く。間近で見ると、どこか威圧的にも見えた風格は鳴りを潜め、人懐っこい笑みだけが私へ向けられていた。

「は、はい。それはもちろん、一向に構いませんが……?」
「おお、やったなセイギ。このように見目麗しい女性と知り合えることは中々ないことだ。仲良くするんだぞ?」
「む……なにやら勝手に話を進められているようですが……サヤ、すまないな。付き合わせてしまって」
「いえいえ! 本当にお気になさらず。何より、セイギ様と仲良くさせて頂きたいと考えていたのは本意でもありますので」
「そうか? それは……うむ」

何やら少しだけ照れるかのように、セイギ様は首の後ろへ手をやりながらほんの少しだけ笑ってくれた。つられて、私も和やかな微笑を浮かべる。

「フフ、若さとはよいものだな」
「しょ、少佐っ。困ります」

揶揄するような少佐の口調に、私は非難めいた声を上げた。

「はっはっは。いや、すまんすまん。さて、名残惜しいが、セイギ。そろそろ行くぞ」
「は――。ではまた会おう、サヤ。少佐の言うがままというわけではないが、せっかくの縁だ。俺も君とは仲良くしていきたい。共に、明日からの教練に励んでいこう」
「はい、こちらこそよろしくお願い致します。セイギ様」

そうして互いに再び握手を交わし、私たちは別れた。結局、カミナギ少佐とセイギ様の関係性は分からず仕舞いだったが、この時彼らとの間に結ばれた縁は長く長く、続いていくことになる。

握り締めたセイギ様の手のひらから感じられた熱を意識して、妙に気恥ずかしいような気分に浸りつつも、私は去っていく彼の背を見送り続けていた。そう、今度はこれっきりなどではない。彼と共に、帝国軍人を目指して邁進していくことになる。不思議と、漠然としていた憂鬱感はもうニ度と沸き上がってくることはなかった。

今一度、私は曇りなき空へ目を向けて、大きく深呼吸する。甘やかな春の香りは、今度はすっと溶け込むように私の心を晴れやかに満たしてくれた。

                                           了

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